年末年始から友人に会う機会が多かったこの時期。
「周りと合わないと感じるのは、自分が成長している証拠です!環境を変えましょう!」
というお決まりの啓発文が頭をよぎりました。
でも自分で考えた結果、これは間違ってると思いました。
どんな環境にも適応して、成長し続けられる人が本物だと私は思うから。
話が合わないという孤独感
小学校からの旧友、高校の友人、大学時代から定期的に会っている友達…たくさんの人に会いました。
そんな中で改めて感じたのは、自分と話が合う人がいないということ。
悲しいけど、周りには
勉強を自主的にしている人
副業などに挑戦してみる人
AIについて考えている人
老後、海外事情、教育、キャリアプラン、子育て、本、マンガ
について考えている人…などなどいません!!
みんなインスタと恋愛とテレビの話、自分の仕事(だけ)の話が大好きです。
話が合わないと言っても、そう感じているのは私だけ。
なぜなら、私は人や場に合わせて話題や話し方を合わせようとしてるから。
みんなは私が感じている違和感には気づきません。
気づいているのは私だけです。
こういう場合、多くの本やネット記事では
「周りと合わないと感じるのは、自分が成長している証拠です!環境を変えましょう!」
なんて言いますよね。でも私はそうは思いません。
なぜなら、環境や人への違和感を何をしてもずっと感じてきたからです。
環境を変えても自分と同じ人には出会えない
違うところに行ったとしても、自分がピッタリ合っている!と思える人や場所に出会えるなんてことはないです。
色々な場所に行って、色々な人と話してきたけど常にそう痛感してきました。
悲しいけど、自分のための環境はどこに行ってもないんです。
今の環境から逃げない。そこでも成長し続ける。
現在の友人や環境が自分に合っていない。自分はもっとハイレベルなんだ!と思って、友人を切り捨てていくのは愚かな選択。
なぜなら、自分にピッタリの世界はないから。
そして、友人から学ぶことが無くなることはないからです。
たとえ友人がどんなにバカでも、話が合わなくても。(←こんな人めったにいませんが)
自分の知らない話を聞ける貴重さ
例えば、私はインスタなどのSNS自体に興味はあるものの、自分が投稿したり使用することは好きではありません。でも、今の20代はインスタをやっている人がほとんど。
だから自分がインスタをやらなくても、友だちがやっているその話を聞けばインスタについては分かります。
それは、メディアでインスタについて学ぶよりもよっぽど勉強になる方法です。
自分と話が合わないと思うからって、友人を遠ざけるのは自分の世界を狭めることと同じです。
今までの自分の環境を大切にしながら、新しい環境も手に入れる。
欲張りなことかもしれませんが、それが一番自分のためになると私は思っています。
1つの世界でしか生きられないのはもったいない
自分の興味のあること全部を一人の人や、一つの環境で共有することは不可能です。
だから色々な環境に身を置いて、その場その場で求められている自分でいるのがベスト。
求められている自分になれないと、残念ながらその環境に居続けることはできません。
コミュニケーション能力を磨いてください。
どんな環境も自分を成長させてくれると信じる
レベルが低い集まり、自分を高めてくれるグループなんて分けるのはナンセンスです。
どの場所も自分にとってマイナスなことは絶対ありません。
話が合わない時に、孤独や寂しさを感じることもあるかもしれませんが仕方のないことです。
Aの話は①で、Bの話は②で、Cの議論は③で…こんな感じで環境を使い分けて下さい。
「周りと合わないと感じるのは、自分が成長している証拠です!環境を変えましょう!」ははっきり言って逃げです。
どんな環境にも合わせられる自分でいる。常に新しい環境にも出ていく。
難しいけどこれが大切だと私は思ってます。
最後に
モヤモヤしてしまったので、自分の考えを整理してみました。
私だって聖人じゃないので、同年代の人たちの話題の少なさ・考えの無ささにガッカリすることはあります。
でも、私は意識高い系には絶対なりたくないんです。
どんな人からも何かを学ぶハングリーさをもって、なんでも自分の糧にしたい。
だからどんな人とも上手くやる術を身に着けたいんです。
そんな感じです。
さくらこでした
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